映画好きの私が、気づいたこと、みんなに伝えたいことをコラムとしてまとめていきます。
今回は「作る側に原因がある場合」を考察していきます。
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映画がつまらない、の理由の1つ
「観た映画がつまらなかった」というのが、少なからずある。
いや、けっこうあるのかもしれない。
「観るんじゃなかった」
「貴重な時間、お金を返してほしい」
などなど、つまらなかった映画に対しては文句も言いたくなる。
そのつまらなかった理由の1つに、「疑問が湧いてばかりで、つまらなかった」というのがあると思う。
映画を見ていると「どうしてそうなるの?」と疑問が出てくる。
一度、疑問を抱くと、次から次へと疑問が出てきて、ツッコミしまくりになり、見終わった後も、疑問ばかり並べて、低評価で終わってしまう。
その疑問とは、科学的な疑問だったり、リアリティのなさ、心情の説得力のなさ、などなど。
疑問に縛られて、映画にのめり込めないことは、とても残念なことだと思います。
でもそれは観る側よりも、作る側に原因があるのではないかと思います。
重点
映画一つ一つに大事な重点があると思います。
例えば、SFものだけど、重点は家族愛だったり、ファミリーものだけど、重点はアクションだったり。
で、たくさんの疑問が出てきても、それを吹っ飛ばしてくれるほどの、「重点のおもしろさ」があれば、評価されると思うんです。
私もよく、疑問を抱きます。
「なんでそう思うの?」
「なんでそう行動するの?」
「どういう仕組みなの?」
「世界線どうなってんの?」
でも、重点がおもしろければ、いや、重点に魅力があって、それに食らいつけることができたならば、疑問はとりあえず頭の隅っこに移動してくれるのです。
で、素直に映画を楽しめる。
しかし、重点に魅力がなければ、それらの疑問がずっと頭にあって、「つまらなかった」で終わってしまう。
つまり作る側は、映画の中で「重点という強力なパンチ」をしっかり見せ、観る側が感じてしまう疑問を忘れさせてほしいんです。
まとめ
なにが重点なのか気づいて、それでもダメなら、重点にパンチ力がなかったか、その映画との相性が悪いのだと思います。
そもそも、重点をうやむやにしている映画もありますし、人によって好き嫌いもありますしね。
また、映画の内容を読み解く力も十人十色なので、”気づけない”というのもあると思います。
映画の中には「つまらないなと思っていたけれど、重点がわかった途端おもしろくなってきた」という映画があります。
だから駄作だと決めつけて途中退席などせず、少なくとも、その映画の半分の時間は観てほしいと思います。
でも、なにはともあれ、映画は娯楽です。
ストレスを溜めてまで観る必要はありませんよ。
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